『好き』と言えなかった私を変えてくれた英会話。アメリカで自分らしさを見つけたライターの話。のアイキャッチ

『好き』と言えなかった私を変えてくれた英会話。アメリカで自分らしさを見つけたライターの話。

編集スタッフ:Lina

私はいわゆる流されやすい人間だった。

「いい大学に行って安定した就職先を探す」という親の期待に沿って、いわゆる用意されたレールの上を歩くだけの人生だった。

それでも、私には大きな夢があった。
それは女優になることだ。

だけど、とてもじゃないけど「女優になりたい」なんて言えなかった。
「親に言っても絶対に反対されるだろうし、誰にも理解してもらえないだろうな…」

今振り返れば、どうせ無理だと他人から否定されるのが怖い、ということだったのだと思う。

他人からの評価を気にしてばかり。
自分なんて…と自己肯定感がとてつもなく低かったのだ。

ただ、だからといって諦められるわけでもなく、「いつか言えるだろう」と心の中にしまっておいた。
とはいえ、思いというのは閉じ込めれば閉じ込めるほど強く、辛く自分を苦しめるものだった。
言葉を心の中に詰め込む癖のせいで、気づけば私の内側は曲げられない言葉でパンパンになっていた。

夢の始まりは小学1年生だった。
光る映像の中で綴られる物語に小さな心は揺さぶられ、主人公の言葉が自分の気持ちに寄り添ってくれると感じたのだ。

「私もそんな人になりたい!」
17歳になるまで誰にも言えなかったけど。

 

 突然の言葉でアメリカを知る

そんな生活に転機がやってきた。

大学受験が見えてきた高1の夏。
自分に素直に生きたいと悩む人生に、光がさしたのだ。

「高校でアメリカに留学してみないか。」

父から突然の言葉。
昔から本気でもないことも平気で言う人だった。

だけど、女優を夢見るくらい怖いもの知らずの私には、高校生で海外生活をするなんてキラキラしてたまらなかった。
何より『言えない自分』を変えられる気がした。

「行きたい!」

私は2つ返事をした。
絶対現実にしてみせると心に誓って。

新しい私を探してアメリカへ

想像もしてなかった人生の選択により、少し世界が広がったように感じた。

私を選んでくれたホストファミリーと1年間一緒に過ごす。
日本人なんて1人もいない場所で、彼らの本当の家族としてアメリカの生活を知る

異文化理解を目的とした交換留学。
知らない世界に飛び込む冒険物語のようでワクワクが止まらなかった。

留学団体のOB/OGの体験談では、先輩たちは「異文化を理解し受け入れること、そうすれば自分を好きになるよ。英語で世界を学ぶんだよ!」と言っていた。

私はその言葉を胸に刻み、新しい自分を見つけるために願書を送った。

 

 アメリカで出会った、自分を変えた素直な言葉

アメリカは自分を包み込んでくれる場所

そして高2の夏、出発の時がきた。

行き先はアメリカのインディアナ州、ベイツビルという小さな田舎町。

インディアナポリス空港で待っていたのは金髪で大きな体の優しげなホストマザーと当時10歳の可愛らしいホストブラザーだった。

80年代の映画に出てくるような小さなオープンカーに乗って走る道は、見渡す限り大豆ととうもろこし畑が広がっていた。
東京の喧騒から離れ、私の過去を知らない街の景色になんだか心が落ち着いた。

家に着くと、ホストマザーは私に言った。

「男の子3人兄弟だから家は汚いけど、ここはあなたの家で、あなたは私たちの家族。だから自由に過ごしてね。」

昨日まで交わることのなかった人々との出会いに運命を感じ、優しく笑いかける彼女の言葉が私を素直にさせてくれるようだった。

認めてくれた、初めての場所

アメリカでの生活は全てが新しかった。

学校では先生の質問に皆が手を上げていた。
間違っていても、少数の意見だったとしても関係ない。
相手の意見を尊重し、伝え合うことが彼らのコミュニケーション方法であり、文化なのだ。

最初は「間違いだったらどうしよう…」という思いが先行して言葉に詰まることもあったが、その度に友達やホストマザーはこう言った。

「あなたがどう思うのか知りたい。違うって個性なんだよ。」

その言葉のおかげで、心に詰め込んだ言葉を少しづつ解き放つことができた気がする。
アメリカの自由さと個を持ち尊重する文化に私は背中を押され、初めて口にすることができた。

「私は将来女優になりたい」

否定する人は1人もいなかった。
その時の開放感と感動を今でも一生忘れない。

自分の気持ちに正直になり、強い意志を持って生きよう、そう心の底から強く思った。

 

 自分の言葉で表現したい

それからは色々なオーディションを受け、レッスンも通った。
レッスンや現場で学ぶことはどれも新鮮で、刺激的な日々を送っていた。

何より、どんなことでも強く思い続け、貫くことで見えてくる道はあるんだと、自分への自信につながった。

しかしそれとともに、私はこんな気持ちも抱くようになった。

「私は自分の言葉で紡いだ想いを素直に誰かに届けたい。」

演じることは好きだったけど、『自分のままで言葉を届けたい』と思い、納得して別の道を歩むことにした。

 

 私の好きなものを探したら、「言葉で人と繋がる」ことだった

演じることから離れて、私は心から好きと言えるものを探し続けた。
今までの経験を振り返って、私は自分の人生で好きだと言えるものの中に1つの共通点を見つけた。
それは「言葉で人と繋がる」ということだ。

私は今、編集部で、執筆や編集の仕事をしている。
英語で外国人講師とコミュニケーションを取ることも多い。

正直、素直な思いを伝えることは難しいと思う。
相手の気持ちを汲み取って、ベストな言葉を探して悩むこともよくある。

だが相手の心と通じ合えた時、なんとも言えない嬉しさがこみ上げる。
何気なく過ぎていく日々の中で、消えない瞬間を相手と共有できたようで幸せを感じる。

そして、これが私の「好き」なんだと思う。

 

 昔は言葉にできなかったけど・・・

アメリカの文化が教えてくれたこと

私の夢は約20年で幕を閉じたが、今は満足している。

強い想いがあったからこそ。
アメリカの文化を受け入れたからこそ。

自分の思いを伝えることの大切さに気づくことができた。
そして、周りを気にせず、好きなものを好きだと言えることの素晴らしさを知ることができた。

だから夢を秘めていた自分も、道を変えた自分も、正解だったと私は言いたい。

『好き』を忘れないでいたい

昔の私のように、「自分らしく生きたいけどなんか違う」と悩む人に「なんとかなるから大丈夫」なんて軽いことは言えない。
でも、もしあなたも「強い意志を持って堂々としていたい」と思うのであれば…。

「自分の心にもう少し耳を傾けてあげて」と伝えたい。

自分に素直な人はいつも生き生きと楽しそうに見える気がする。

大きな夢じゃなくてもいい、明日の小さな目標だっていい。
自分が好きなものを「好きだ」と言うことくらいはできるんじゃないだろうか。

とはいえ、忙しい毎日に追われて、好きと言う余裕がなくなってしまう時もある。

だから私はその『好き』を忘れないであげることを目標にしたい。
そして誰よりも遠回りの人生を歩んだとしても、自分がその道を好きでいられるならいいなと思う。